2001年 4月 3週

かれん  2歳7ヶ月
冬馬  1歳4ヶ月
青希     1ヶ月

かれん  14.2kg 91cm
冬馬   10.8kg 80cm
青希   4545g  53.4cm

津田沼に戻った最初の週。家族全員様子見のペース確認。
かれんも冬馬も帰ってきたとたん急にレベルアップしたような気がする。
松尾にいる間のお風呂でばーばに仕込まれたらしく、かれんは50まで運がよければ数えられるようになっていた。
冬馬は急におしゃべりになったし…。まぁほとんど言ってることは理解できないんだけど、ここに来て判明した単語は「イモ→ビデオ」、「ニアオ→しまじろう」、「ブイ→おしゃぶり」、「マ→車」、たぶんねっていうレベルの判明。明瞭には発音できない上に語尾をとるので理解不能。指差して「あ!」とかティーとかプチーとかも継続中。それから教育的指導の後「アイ」と返事をしたことはきちんと実行するのは男気があるなぁと思った。嫌なこととか納得がいかないことは返事しないもん。かれんとはちがうなぁ。

妻の体調が戻るのに歩調を合わせるかのように二人の要求も強くなってきた。本大好きの冬馬は何かにつけ本を持って追い掛け回すし、かれんはここぞとばかりに「抱っこ、抱っこ」というようになった。冬馬の持ってくる本は決して読み聞かせではないチャレンジのテキストばっかりで読みにくいし、一日に同じ本を何回も持ってくるのが連日なので読むこちらも飽き飽きだ。かれんの抱っこに関してはたぶん同じくらいの子供に比べればママの抱っこが足りないのは明らかなので抱っこしてあげなきゃいかんのだろうなぁとは思うものの、産後の腰痛を引きずっている妻にはちょっときつい。要求をそのままのんでいるとエンドレスで要求されるし…だいたい妻が抱っこしたくないとき(怒ってるときとか疲れてるときとか)に限って要求されるんだよなぁ。

青希の栄養源は津田沼に戻ってからミルクオンリーになった。冬馬のときに母乳が出たおかげで2、3時間おきの授乳と預けられないのに懲りたため妻のやる気は全くなく、松尾にいるあいだにも1日2回くらい分しか量も出なかった。吸いにくい乳首なので母子ともにがんばらなきゃいけないのもめんどくさかった(これはかれんのときに懲りてる)。なので搾乳したり、乳頭保護器であげたりで、青希がじかに乳首からすったのは試しにやって偶然吸えた一回きりだ。
最初から量が出ない上に津田沼に戻って忙しくなったら母乳をあげることを忘れちゃったりして本当に出なくなってしまった。あんまり罪悪感もないのは問題か?がんばって妻がいらいらするよりはいいと思うので病気でもないし良しとしているが。
非常に協力的な夫とがんばらなくっていいやーと自分が気付いたからか産後の妻の精神状態は今回が一番安定している。あと青希が夜は絶対寝てくれるのも大きいか。1ヶ月の癖に確実に4、5時間寝るからなー。3人目にして初めてだー。うれしー(^o^)

一ヶ月検診では臍に肉芽が残っていたくらいで(要するにじくじくが続いていた)特別困ったこともなかった。
3人立て続けに同じ病院で産んだのだが、今までは特別何にも言わなかった院長がこの最後の最後に「前から髪は短かったでしたっけ?」とか個人的なことで声をかけてくれて、普段ビジネスライクな院長だけに妻としては非常にうれしかった。最後のつもりでまたあったりして…^_^;;;

2001.4.15

かれんが生まれたときにばーばが作ったダンボールベッド。
松尾でのみの使用かと思いきや青希になって津田沼でも使うことに。二人が走り回る中では上二人が使っていたラックでは心もとなく、ベビーベッドでは大きすぎて邪魔なのでこれがちょうど良い。
2001.4.15

夫や妻がトイレに入っていると必ず来る二人。ちょっと迷惑。
ビデオの影響で流すときに必ずバイバイする冬馬。
2001.4.20

こいのぼりを組み立て中。
2001.4.21

マイキーボードで「メールしてるの」
2001.4.21

冬馬があまりに本を読めって持ってくるので夫がかれんに「読んであげて」とお願いしたら読んでくれた。
機嫌がいいと役に立つ娘。
2001.4.21

妻がやっていることをつぶさに観察、毎回毎回飽きもせず見ている。
これものちにレゴの容器をお風呂に海苔の缶を入浴させていた(^^)
2001.4.22

お宮参りに出発前。
鼻水でとるがな

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